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Maison Margiela(メゾン マルジェラ)の歴史を紐解く|前衛的ファッションの軌跡

Maison Margiela(メゾン マルジェラ)の歴史を紐解く|前衛的ファッションの軌跡

大人気の足袋ブーツや印象的なカレンダータグ、脱構築なデザインやアンチモードである古着風ファッションなどで老若男女にファン層を拡大し続ける Maison Margiela(メゾン・マルジェラ)。
創業者Martin Margiela (マルタンマルジェラ)時代から今日に至るまでMargiela はなぜ各国のファッショニスタから愛され続けるのか?
 本記事ではその理由を深掘りしながら解説いたします。

 Maison Margielaとは?ブランドの創設と背景

Maison Margiela(メゾン マルジェラ)の歴史を紐解く|前衛的ファッションの軌跡

出典:Maison Margiela

メゾンマルジェラ(Maison Margiela)は、1988年、フランスのパリで創設されたファッションブランドです。
メゾンマルジェラではウィメンズファッション、メンズファッション、シューズ、アクセサリー、バッグ、香水など、多数のアイテムを展開しています。

ブランドのコンセプトとして「反モード」を掲げ、当時の流行に反したボディーラインのファッションなどを提案したことでファッション業界に多大なる影響を与え世界に最も影響を与えた唯一無二のブランドとして一躍話題のブランドとして確立しました。

創設者マルタン・マルジェラの生い立ち

メゾンマルジェラを創設したマルタン・マルジェラは、1959年のベルギーに生まれ、ファッション業界では非常に有名で名門と呼ばれるアントワープ王立芸術学院でファッションを専攻しています。
卒業後、ジャン=ポール・ゴルティエ(Jean-Paul GAULTIER)のアシスタントを経て、自身のレーベルとなるメゾンマルジェラを創設しました。
創設当初は、マルタン・マルジェラの名前をそのままとり、「メゾンマルタンマルジェラ(Maison Martin Margiela)」がブランド名として使われていました。
後にマルタン・マルジェラ自身は、1997年から2003年までの間、フランスの一流ブランドエルメス(HERMES)のデザイナーも務めています。
ブランド名が「メゾンマルジェラ」に変更されたのは2015年のことです。

1988年のブランド設立

メゾンマルジェラ(当時はメゾンマルタンマルジェラ)は、1989年にパリコレクションデビューを果たしました。
それまで流行していたゆったりシルエットに対して細身のシルエットを提案。

さらに、当時のトレンドを覆すデザインとして“脱構築”または“デストロイ・コレクション”とも呼ばれ、それまでのきらびやかなファッションショーやコレクションを否定するかのような破壊的な洋服を生み出しました。

その後、90年代に流行するグランジファッションの先駆的コレクションとも評されました。

そして「カレンダータグ」と呼ばれる数字を記した独特なタグや、ファションショーにて全顔を覆い覆面で歩かせる演出などマルタン自身がファッションを通じて発信するメッセージ性の強さこそがマルジェラのブランドの最大の魅力と言えるでしょう。

創設時のファッション業界の状況とマルジェラが目指したもの

当時のファッション業界といえば煌びやかでデコラティブなスタイルが【モード】として評されていた時代にマルタンマルジェラはアンチテーゼでもある【反モード】をコンセプトに制作したと言われています。

ファッションの名門学校で多くを学び、有名デザイナーの元修行をして誰から見ても一流デザイナーとして確立した彼が行き着いたものは、本当の意味での表現の自由だったのかもしれません。

初期のMaison Margiela:革新的なデザインとその影響

出典:Maison Margiela

初期のコレクションで見られた革新的なスタイル

マルタンマルジェラと言えば解体主義破壊主義の代名詞とも呼ばれ、すでに出来上がっている衣装を分解して組み替える過程を通じて再構築デザインを生み出し、ビニール袋のようにファッションとはかけ離れたものからもインスピレーションを見つけ制作するなど、当時では考えられないような発想でものづくりをし、ファッションの常識を打ち破った唯一無二のデザイナーと評されていました。

なかでもわざと色褪せたり、ほつれたり、わざとユーズド加工風に仕上げ、貧困者風スタイルと言われるポぺリズム【pauperisme】/別名シャビールック【shabby look】と呼ばれるスタイルでも知られています。

 ファッションショーや店舗デザインの独自性

マルタン氏の独創性は作品以外にも反映され当時では考えられない演出をしたことでも有名です。

ファッションショーを歩くモデルはブランドを象徴するアイコンとして位置付けられていた時代にメゾンマルタンマルジェラはモデルの顔を布で全て覆い、切りっぱなしの裾や縫い代などが表に出た当時のファッションの王道に反した型破りな服づくりを前面に押し出しました。

また、ショーを行う場所もパリの中心にある公式な会場やホテルではなく、下町の劇場、倉庫や駐車場、使われていない地下鉄の駅など当時誰もが驚くような場所を使用しコレクションを発表しました。
また、マルジェラといえば『白』とイメージがありますが、ブランドを設立した時からマルタン氏がこだわっていた一つと言われています。
階級を拒絶し、匿名性を重視し、全ての作品をより引き立てるフレームとして店舗を作っていました。

  マルタン誕生から創業までの年表

1959年 ベルギーのルーヴェンで、ポーランド人の父親とベルギー人の母親のもとに生まれる
1976年〜1979年 アントワープ王立芸術学院でファッション科を専攻し、ファッションについて学ぶ
1980年 イタリア/ミラノのファッション会社に勤める
1984年 当時パリで見たジャンポール・ゴルチエのファションショーに感銘を受け、ジャンポール・ゴルチエのアトリエにアシスタントとして就職
1984年〜1987年 ジャンポール・ゴルチエの元で修行を積む
1988年 フランス・パリで自身の名を冠した「メゾン・マルタン・マルジェラ」を設立
1988年 ブランド設立の同年、パリ・プレタポルテ・コレクションでデビュー
1989年 第1回アンダム・ファッション アワード(フランス国立モード芸術開発協会主催)で最優秀ファッション・デザイナー賞を受賞
1990年 アンダム賞の賞金で会社をパリのサン=ドニ通りに移転し、“アトリエ・アーティザナル”をオープン
1994年 ヴィンテージの素材を使った初のシリーズを「レプリカ」と名付けて発表

 メゾン マルジェラの哲学とデザインの進化

出典:Maison Margiela

「匿名性」を重視したブランド哲学

メゾン・マルジェラの一番の特徴というと匿名性があげられます。マルジェラは初めてのコレクションの時、当時では考えられなかった事をします。
それは、「モデルに一般人を起用した事」「マスクで顔が見えないスタイルに挑戦した事」「当時の流行に反したタイトなシルエットに挑戦した事」の3つです。

そして、ショーのエンディングであるデザイナー登場の時にマルジェラは顔出しもせず、純粋に服だけで挑戦し、デビューを果たしました。
プロダクトがメゾンのすべてを表現するというポリシーのもと、スターデザイナーが前面に出るファッション界の慣習とは一線を画す匿名性を非常に重要視していました。
その後も一度も顔を明かさず、メディア上で匿名を貫いた彼は表舞台へ一切現れなかったことで知られています。
メディアへのインタビューは全て書面を通して行われ、顔写真もほとんど公開せず匿名性を貫きました。

スタッフが白衣を着る意味

スタッフのユニフォームである白衣は、メゾンに属していることを示すシンボル的なもの。

「メゾン」そのものが人格化され、インタビューでの主語は常に「私」ではなくチームを示す「私たち」で語ったというマルジェラ。
階級を拒絶し、誰がどの役割を果たしているのかを曖昧にする匿名性の表現でもあり、同時に白衣を身につけてオートクチュールを手がける職人、クチュリエへの敬意とクチュールメゾンとしてのルーツを表し、今でもメゾンのスタッフが着用しており、ブランドを象徴するユニフォームになっています。

4本の白いステッチが表すもの

マルジェラといえば「これ!」と言いえるほど、ブランドの象徴的な縫い付けとなっているブランドタグです。
タグの4隅を糸で留めただけの簡易的なもので、簡単に取り外す事が出来ます。

また、当時のタグにはブランド名の記載がありませんでした。
ブランド名が記載されていないタグが生まれた背景には「ブランドネームではなく、服そのものの価値を感じて欲しい」というマルジェラの想いから生まれました。
白いラベルを仮留めした4本の白いステッチは、当初は後から取られることを意図していたが、今では遠くから見ても一瞬でブランドを判明できる象徴的でアイコニックなデザインと言えるでしょう。

カレンダータグのナンバリングの意味とは?

メゾン・マルジェラのほとんどのアイテムに使われているカレンダータグは、カレンダーに見えることから「カレンダータグ」と呼ばれています。

このカレンダータグの〇で囲まれた数字はラインを示しています。メゾンの各ラインは番号で区分されており、0から23までの数字が刻印されたラベルにはアイテムが属するラインの番号が〇で囲まれており、2021年ジョン・ガリアーノによって、白い無地のラベルが男女共通を意味する「Co-Ed」と再定義されました。

さらに、ライン4と14は「アイコンズ」として新定義され、ジェンダーレスでタイムレスなワードローブとして誕生。
それぞれの数字の意味を見ていきましょう。

ライン⓪ 「アーティザナル」コレクション
手仕事により、フォルムをつくり直した女性のための服

ライン⓪⑩  手仕事により、フォルムをつくり直した男性のための服 

白い無地のラベル 「Co-Ed」コレクション

ライン① ウィメンズのためのコレクション
女性のためのコレクション(ラベルは無地で白) 

ライン③ フレグランス・コレクション
フレグランスのコレクション 

ライン④ ウィメンズのための「アイコンズ」
女性のためのワードローブ 

ライン⑧ アイウェア・コレクション

ライン⑩ メンズのためのコレクション

ライン⑪アクセサリーのコレクション

ライン⑫ ファインジュエリーのコレクション 

ライン⑬ – オブジェと出版物 

ライン⑭メンズのための「アイコンズ」
男性のためのワードローブ 

ライン㉒シューズのコレクション

番号のないライン 「レプリカ」

番号のないライン 「レチクラ」
MM6 女性のためのカジュアルウエア

また、「メゾン マルタン マルジェラ」の象徴ともいえる有名な白いタグがフランス産業財産庁によって登録されました

作品に込められた熱い想い

出典:Maison Margiela

「タビ」シューズの歴史

1989年の春夏コレクションで登場した《タビシューズ》は、今となってはマルジェラの定番アイテムとして定着しています。
日本の伝統的な足袋からヒントを得て作られた “着る現代アート” のように難解なデザインと、和の要素を感じさせるミニマリズムが人気を呼びました。

当時足袋シューズの発表の仕方も非常に斬新で、足袋ブーツの底に赤い塗料に浸し、それを履いたモデルたちが真っ白なキャットウォークに足袋特有の足跡を赤く刻み込んだ演出はファッション界に衝撃を与え、鮮烈なお披露目になりました。
何十年も経った今でも、ファンの間で語り草となっています。
ブランド創設者であり2009年までデザイナーを務めたマルタン・マルジェラいわく、「観客に足袋ブーツの存在を気づかせるために最も効果的なのは足跡だと思ったのだ」とのちに語っています。

おなじみの円柱ヒールのショートブーツのほか、バレエシューズやローファー、スニーカーなど、毎シーズン素材やデザインが加わり、ジェンダーレスシューズとして進化している不動のデザインで、2017-’18年秋冬より本格的にメンズコレクションがスタートし、男性のヒールブーツ人気に火をつけた立役者と言っても過言ではないでしょう。

エイズ患者をサポートするメッセージTシャツ

 マルジェラが 1994 年から現在までリリースし続けている《エイズ T シャツ》売り上げの一部はエイズ患者の支援団体に寄付されています。

毎シーズン異なるカラーで展開されていますが、首元に書かれたメッセージはずっと同じです。
このテキストは T シャツの V ネック部分にプリントされているため、着用すると文章の一部が隠れてしまい、全文を読むことができません。
メッセージに興味を持った人と着用者とのコミュニケーションが生まれるきっかけになるよう配慮したデザインになっています。

There is more action to be done to fight AIDS than to wear this T-shirt but It’s a good start
和訳:エイズ撲滅のためにこのTシャツを着るよりもっとすべきことはあるけど、最初の一歩としては悪くないだろう

「レプリカ」というコンセプト

時代を超えた普遍性を見いだすべく1994年にスタートしたカプセルコレクション。
世界中から集めたヴィンテージの服やシューズなどを忠実に再現して現代的に再解釈し、ラベルには元の生産国、機能、年代を記載しています。
2012年には本コレクションから着想を得たフレグランスラインもスタート。
日常生活におけるシーンや記憶を香りで再現しています。

新しいボキャブラリー「レチクラ」

「レプリカ」のコンセプトを拡大し、ジョン・ガリアーノが世界中から探し出したヴィンテージピースを修復・復元、あるいは製造過程で生まれた余剰の革や布を再利用してアップサイクルされたカプセルコレクション。
元となったピースの原産国と年代、アイテム名を示すラベルがつけられています。
サステイナビリティへの関心の高まりから生み出され、2020-’21年秋冬「デフィレ」Co-Edコレクションでお披露目されました。

現在のMaison Margiela:進化と未来

出典:Maison Margiela

2002年にディーゼルなどを傘下に持つOTBグループによる出資、製造、店舗開発などの支援を受けて、国際的な店舗拡大が始まり、2014年にはクリエイティブディレクターに「ジョン・ガリアーノ」が就任
2015年にブランド名を「メゾン・マルタン・マルジェラ」から現在の「メゾン・マルジェラ」に改名し更に進化をし続けています。

ジョン・ガリアーノが生み出す新生Maison Margielaとその新たな方向性

2015年にMaison Margielaのデザイナーとして抜擢されたのがジョン・ガリアーノです。
ジョン・ガリアーノは1960年にイギリスの植民地ジブラルタルで生まれ、6歳からロンドンへ移住しました。
ロンドンの芸術大学セントラルセントマーチンズに入学し、1984年には主席での卒業を果たします。
1985年には自身の名を込めたブランド、「John Galliano」でデビューすることに。
ガリアーノは歴史的、民族的な衣装やストリートファッションから着想を得ながら現代的な作品を生み出すことに長けていました。

その実力は世界でも評価され、GIVENCHY・Christian Diorといった名だたるブランドのデザイナーを担当することとなります。
世界最高峰のデザイナーとして評価されたガリアーノでしたが、2011年にカフェで差別発言を行ったことで逮捕されることに。
この逮捕により担当していたブランド全てから解雇されることとなりますが、2014年にMaison Margielaのデザイナーとして再び返り咲くこととなりました。

 現在のコレクションにおけるブランドの継承と革新

現在のメゾン・マルジェラ(Maison Margiela)におけるブランドの継承と革新は、クリエイティブディレクターであるジョン・ガリアーノの就任によって特徴づけられています。
彼は、創業者マルタン・マルジェラが確立したデザイン哲学やブランドのアイデンティティを尊重しつつ、独自の美学と現代的な感覚を加えることでブランドに新たな風を吹き込んでいます。

ブランドの継承

  1. 匿名性と解体主義: マルジェラの最大の特徴は、デザイナー自身が表に出ず、デザイン自体が語るという「匿名性」の哲学です。また、伝統的なファッションの概念を解体し、再構築する「解体主義」もブランドの核として引き継がれています。ガリアーノもこの精神を守り、構造やシルエットに対する挑戦を続けています。
  2. 再利用とサステナビリティ: マルジェラの設立当初からのテーマである「アップサイクリング」(再利用)も、ガリアーノのデザインに取り入れられています。
    彼はヴィンテージ素材や既存のアイテムを再構築し、新しいものへと変換する手法を駆使しています。

ブランドの革新

  1. ガリアーノの視点による新解釈:
    ジョン・ガリアーノは、ロマンチックでドラマチックな美学を持ち味とし、従来のマルジェラのミニマルで前衛的なデザインにより華やかで感情的な要素を加えています。
    これにより、マルジェラが持つ前衛性が一層深みを持つようになりました。
  2. テクノロジーとモダニティの導入:
    ガリアーノは伝統的なファッションデザインの枠を超えデジタル技術や新しい素材の活用にも積極的です。
    これによりマルジェラの未来的な側面が強調され、現代のファッション市場における影響力が増しています。
  3. 定番アイテムの進化:
    「タビブーツ」や「白いステッチ」など、マルジェラのアイコン的アイテムを継承しつつ、これらに新たな要素を加えることでブランドの伝統と現代性を融合させています。

このように、ガリアーノはルジェラの核心的なアイデンティティを尊重しつつ、彼自身のクリエイティビティを活かした革新を加えることで、ブランドを新たなステージに導いています。

 ファッション業界におけるMaison Margielaの現在の位置付けとクリエーション

2024年1月に発表された『アーティザナル・コレクション』はパリのオートクチュールファッションウィークの大トリを飾りました。
他のブランドとは趣向が異なり、ライブから始まり、ショートフィルムを流し、そこから飛び出てきたかのようなショーが始まりました。
30分以上ある長いショーケースの中、一瞬たりとも見逃せず観客を飽きさせない演出はまさに他の追随を許さない孤高の天才ガリアーノしか表現できないものと言っても過言ではありません。

 まとめ

出典:Maison Margiela

モード界の常識を覆したマルタンマルジェラ期の【Maison Martin Margiela】から哲学は継承されつつ現在もなお、進化し続けるジョンガリアーノが創り出す【Maison Margiela】驚きと創造性に満ちたコレクションに今後も目が離せないこと間違いなしです。

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